店主の工作室

 模型屋のおじさんは模型を売るだけではいけません、工作しなければ。
実物の写真でお客様を引き付けるのもいいですが、読めない字を書き、
箸がまともに持てず、中学まで蝶々結びができない不器用なおじさんの
工作する姿を見て。少しでも工作する人が増える事を願って。

やっとデジカメを買ったのでこのコーナーができます。

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20ftコンテナ

 コキフ50000の編成に必要なのは20ftコンテナ、世間では「モリタ」の31ftの「ランテック」コンテナキットが発売されて盛り上がって
いますが私ではやはり20ftコンテナ。
 しかし製品はありません、TOMIXの30AではJR時代なので使えません、家の中からハセガワの20ftコンテナが発見され。「とれいん」
誌の吉岡心平氏の国鉄時代の私有コンテナの連載の日本通運コンテナの記事を見てひらめきました。
昔のコンテナは塗装がシンプルなので何とかなるかな、白文字と日通マークなどをアルプスのMDプリンターで作ってもらえば。
 模型友の会のMDプリンターを所有している方にデカールを作成してもらいました。Mrカラーから日通グレーと矢印の青色に似た色を
探して塗装します、それにデカールを貼れば「日通アロー便」コンテナの完成。これに気を良くしてホビーの10tコンテナキットからも制作。
キットは両妻にドアがあるタイプですがこれは無視してます、1個はアルミ構体タイプにしています。6個完成、こうなるとコキ19000も作り
たいなと思います。「アロー」と言えばKRYのラジオカーですね。それはともかく次はハンドルマークの「日本運送」コンテナ。
左上 アルミ構体、左下&中 ホビーキット、右 ハセガワ リブ付


床下機器は詰まっているのがおもしろい
 
 「荷37レ計画」の他にも「九州客車急行制覇計画」があります。オロ11から始まりフジモデルのキットで何両も作りましたが
まだ未制作の客車があります。今回はこの床下機器の客車、86年版のグリーンマックスのカタログを持っている方はわかり
ます。スロ54を床下冷房改造した「マロ55(後のスロ5426・29)」です、1等車の冷房改造の試作車で床下に20系のAU21Cを取り
付た車両、冷房装置・ディーゼル発電機・燃料タンクが取付られて床下はぎっしり!。多数派の低屋根AU13改造車は随分前に
制作したので今回はこれ、車体はフジモデルのスロ54原形、客ドアを変えるだけでそのまま。
 床下機器の配置図は車両史編さん会のスハ43系の一族に床下機器配置図があるのでこれを1/80に拡大スキャンして方眼紙
に床下機器の取付穴の位置を決めて行きます。模型の床下機器の配置は車両をひっくり返して見た物、実物は車両の上から
透視した状態で書かれているので注意。機器が多いので手戻りが無いようプラ板に取付穴をあけて機器が干渉しないか確かめて
床下機器取付板に穴を開けていきます、AU21はKATOのナロネ21から、電池箱などは裏の空間にエポキシパテを充填しています。
水タンクは特ロ用に容量の大きいサイズなのでエコーの水タンクを延長しています、ディーゼル発電機は750円!。



珍貨車

 クモヤ90の後は荷物列車を制作していました、マニ44、マニ36、マニ50など「荷37レ計画」。3月になると「そろそろ競作を
作らなければ」、今年(2018年)のお題は「貨車」!!。
当クラブには真珠でなく筋金入りの貨車好きが2名もおり到底太刀打ちできないのは目に見えているので、「受けねらい
」しかない。
 ずっと前、当店の委託品にフジミの東京モノレールが出品されていました、「そういえばモノレールを輸送する貨車が
あったので積荷にちょうどいいなぁ」と購入したのでした。今年の競作はこれに決まり。
 RMライブラリー「大物車のすべて」に図面が出ていたのでこれを元に設計、幅が800mmなので模型は10mm、KSの帯金
がそのまま使えます。側板はただひたすら糸鋸と格闘、側面は縦リブはひたすらハンダ付。鉄道ファンの写真とライブラリー
の写真からディテール工作。台車は日立C-1と言うアメリカンな台車(この台車が雑型とされ65キロ制限になりシム1~シム200
に形式変更)それこそアメリカ型の台車の流用すれば良いのでしょうがトミーのTR41の枕ばねをエコーのタッピングビスを加工
したコイルばねを2列に並べてそれらしく見せました。  
 積荷?はもちろんモノレール!開業当初の水色に、本物みたいに貨車に乗せるとスカートがレールに接触してしまいます。
鉄道ファンの写真では車体のみで下に謎の箱が付いています、この姿にしたのでもうコンクリートの線路には乗りません。
開業時の車両が乗っているので形式はシム1の19番でシム19、往年のNHKのテレビ番組「宇宙人ピピ」のオープニングに
疾走するモノレールを空撮で撮った映像がありました♪ピッピッピー ピッピのピッピ。作曲 富田勲
5歳の時乗ったモノレールはこの色だったのかなぁ。

クモヤ90

 今年(2017年)の模型クラブの競作は「事業用車・試作車」、キットの消化が目的なのでKSモデルのクモヤ90を
作る事にしました。プロトタイプは下関の002は見たことがないので広島の054にしました。115系投入まで広島
運転所には牽引車の配置がなくクモハ73やクモニ83が当たっていたらしく054は品川区より転入。
 写真を見て客用扉を正規のタイプを取り付けます、前面の小さな箱サボ受はトレジャータウンのパーツを使用。
パンタ鉤外しの紐が下に垂れるので「アダージオ」のパンタ鉤外し装置を取り付けました。郡山工場改造車は
母線が妻板でなく車内(乗務員室の後ろの壁の間)に入っています。
 下周りはエンドウDТ13、LN12+Φ11.5スポーク車輪MPギヤの組み合わせ、床下機器は日光モデル、カプラー
はトミーのTNカプラー、空気配管は省略しました、カプラーの胴受に品川から来た証のATS-B形車上子が付いて
います。。
 工作が一段落してふと「1両じゃあ寂しいな」と思いもう1両何か作らないかと思ったのでした。



 今回の模型製作の参考はTMS誌のこの記事、作者のH岡氏は広島出身で現在は埼玉でエコーモデルの常連さん
です(当店にも数回来られた)。参考にしてたら100番台も欲しくなりました、牽引車は2両あるといろいろ便利です。
作例はフェニックスのキットですがあるわけないのでペーパーで自作することに決めました、もちろん柳井で見た広島区
の105。H岡氏の記事そのままです。
 しかしこの記事を参考に制作した末路はとんでもない事に!!



 形式図やクモヤ143の図面を参考に、CADも使わず方眼紙に0.25mm刻みで図面を書いて、いさみやの車体用方眼紙
t0.3(1984年にまとめて購入した物!)にシャーペンでケガキ、カッターと沖野彫刻の丸ノミで切り抜きました、老眼で大変。
クモヤ143と微妙に台枠の厚みが異なり1回やり直しました。
 301系から始まる星晃氏曰く「スキーのゴーグルからデザイン」の前面は写真と図面を見ながら慎重に制作、ドアは別
パーツ、ライト類は塗装後に取り付け、手すりなども穴はピンバイスで開けると紙が盛り上がるので瞬間を流しサンドペーパー
で平滑にしました。側面も断面には瞬間を流しています。
 屋根は木製、床板を止める兼補強は5×5の真鍮アングル、サーフエーサー処理は内張りを除いてエコーのサーフエーサーを
吹き付けました。研磨は1000番のペーパーをタミヤのエナメル溶剤X20で水研ぎ(油研ぎ)これでやると紙がふやけない。4・5回は
繰り返し研ぎました。
Hゴムとユニットサッシ枠はサーフエーサーの塗膜の段で表現しました。乗務員扉は塗装後に取り付け。ランボード・昇降ステップ・
配管止・クツズリ・手スリなど金属部品は洗浄~プライマー~グレーで塗装した物を取付でいます。昇降ステップは下地処理している
おかげでラッカーシンナーを筆に含ませるだけで接着できます。
 90054は梅雨前にぶどう色まで塗装が済んでいました、105は梅雨明けに塗装、あと2両作れそうだなぁ。



 クモヤ90は牽引車です、何か牽引する車両で簡単に作れそうな物は?。広島運転所のクモヤなので115系(昭和50年代)は0か2000番台、屋根上
配管の楽な0番台のモハユニットを作りました、番号に注目。
 今ではニュースにならないニュースが、毎年6月頃に発表されていた「国鉄・私鉄の冷房化率(通勤電車)」。今はほぼ100%ですがこの時代はまだまだ。
山手線が高くて常磐線が低い、京阪・阪急は高いが東武は低いなど。
 広島は78年に115系2000番台が入ったので153系と合わせると約50%ぐらいの冷房化率、毎年変化が無いのはくやしいので115系0番台の後期車を
冷房化改造していました。広島・幡生工場で改造されましたがモハ115-123+モハ114‐109とモハ115‐132+モハ114‐118のユニットは広島工場の改造銘板
が車内に貼ってありましたが実は日立笠戸に外注していました。79年12月と80年2月に改造されています、クモヤ90に挟まれて回送されるのを仕事中に
見てました(年休を出して写真を撮ろうとおもってもまだ入って8ヶ月、おまけに冬場はレール更換で本当に休みが取れない)。
 模型でこれを再現。
 ただし8月20日の競作までに4両を仕上げるのは大変、7月に入って朝5時半に起きて模型工作(22時には寝るのですが)。
何とか前々日に試運転、前日に当店に翌日の競作にゲストで来られた横浜の「崎陽軒」さんが「もう一人H岡さんも来られる」私「え?H岡さん・・・」。そのあと
H岡さんも店に来られて、あーあ。ショックで、翌日車両は忘れるはデジカメは忘れるやら。


ついに

 引退から38年、最初のキット購入から四半世紀、制作開始から8年、ついに80系電車が10両編成になりました。
6+4の編成、つまり先頭車が4両、やっと湘南顔ができました。所属する模型クラブでは「藤原さんは80系や70系作る
けど湘南顔を作らない(作れない)のね」と陰口を言われる始末、やっと汚名が晴れる。
クハ86は100番台、屋根上のタイフォンカバーが特徴、昨年12月から作りはじめ春に黄かん色を塗ったところで梅雨入り
(今年は早かった)、そのあとは競作で中断、秋になり(秋も雨の日が多かった)やっと全部塗終えることができました。
昨年「金太郎」塗りのディーゼル機関車を塗装したので自信がでた?。
 これで先頭車は100番台のクハが2両、3枚窓の一次車更新とサロ格下のクハ85が揃いました、サハが1両あるので
もう1両モハ80を作れば夢の6+6の12連が再現出来ます、ちびちび作って行きますか。

鳥栖のお座敷列車


今年の模型クラブの競作は「ブラ製品の改造」、さて何を作ろうかなといつもは悩むのですが、今回は「鳥栖のお座敷列車」で決定!
 「トワイライト瑞風」や「四季島」などのクルーズトレインやバブル期のジョイフルトレインでなく昭和50年代前半と言えばスロ81の「お座敷
列車」でしょう、ただし帯が2本入ったシナ座やミハ座でなくスロ62に障子が付いた鳥栖や名古屋や金沢のお座敷列車が頻繁にこのあたり
を走行していました(お座敷なので夜行向きで長距離の設定ができたのでは)。写真は79年4月14日広島にて、9417レスロフ812106。
国鉄に入ってまだ2週間、鉄道学園の局報を見て時間を知った、これが国鉄職員の特権と思いました。
 外観は種車のスロ62とあまり変わらず窓埋め程度で済みます。スロ62は2年前TOMIXが10系寝台をリニューアル発売した時の品。
4両セットがオハネフ12+オシ17+スロ62+オロネ10で安芸門徒のみなさんが「オシ17が入っているのはええんじゃがスロ62がいらんなぁ」
かわいそうなスロ62、で私がスロ62を引き取り寝台車と交換してあげたのでした(模型屋の特権)、難なくスロは4両手に入りスロフ2両で
種車確保、内装はこの時があろうと初回発売時に販売されていたシートを確保してあり改造始め!
 トミーの10系寝台シリーズの車体は基本的に初回発売の金型を使用しています、なぜかスロ62にも手ブレーキハンドルの膨らみが
あります。そこでスロ81の妻板の膨らみを削っていたらムラムラ「ついでに全部削ってしまえ!」妻板のディテールはつるつるに。
手すり・尾灯掛・ステップ・検査標・製造銘板・点検ふた・テールライト(スロフ81はスロ62の改造で固定編成なので片方しかテールライトがない)
などエコーのパーツなどに取り換えました。
スロフの幌を畳んだ状態にしたくエコーのパーツを取り付けるのですがブラの幌がはめ込み式ではずすと変な形になるので、貫通路
全体をABS板(車体と同じ材質・東急ハンズで売っている)で埋め、再度開け直すおバカな事をしています。それをやるもう一つの原因は
実物写真でも見える貫通路の転落防止柵の再現です。お座敷列車の乗客のほとんどは酔っ払いなので柵は必要でしょう、ミハ座などは
愛称版も兼ねたこじゃれた形状ですがこの鳥栖座は模様のある柵(フイ座はただの柵)、どうやって再現するか制作前から悩んでいま
した。エコーのカタログを見ると(ストラクチャー編)#266「窓用手すりセット」を発見!柄3種のうちの逆ハート形がそれらしく使えそうだ!
貫通路の幅に「コの字形に曲げた帯金に手すりを半田付します(この時半田ゴテがやぶけた)、黒に塗装して車体塗装後に取り付けました。
形は違いますがまずは大成功。
 その他車体は各車窓埋め、あと妻板と屋根の隙間がかっこ悪いので車体と屋根板を固定して隙間を埋めました。下回りは車軸発電機
増設(3両)、トイレ流し管台車マウントで取り付けなど。車体は青成型だった、だからなんか透けぎみだったのね。内装のクリームを外装に
も塗って成型色感を消しました。デッキは薄茶色、等級帯は淡緑6号ここまでマッハのラッカー。帯を1.8mmでマスキングしてGM青15号3に
対して青20号1の割合で調合した青15号で塗装。各社インレタ総動員クリヤー塗料をかけて塗装終了。エクセルでサボや愛称「桜島、阿蘇、
高千穂、九重、雲仙、開聞」やドア上表示を作成してシールにして貼付、障子もエクセルで茶色の罫線を引き窓裏に貼付、「久留米市農協
御一同様」も受け狙いで貼付、「架線注意」も貼りましょう。なつかしのお座敷列車が完成しました。
 牽引する広島区の変態ゴハチを作らねば、競作は485に負けて2位でした。





ハンダゴテがやぶけた!

 このところブラ工作が続きハンダゴテを握っていなかったのですが、ブラ工作で取り付けるパーツを半田付をしなければ
ならない所があり久しぶりにコテを見るとコテ先を止めるビスが固着して回せません、回せないとコテ先が固定できずはずれて
危険&熱伝導が悪くなります。ユニクリーンオイルを差して必死にネジを回してもビクともしません、あげくの果てにビスが折れて
しまいました。写真の真ん中のコテです。
 実は下のコテも(goot製)20年以上使って本体側のネジ穴がバカになって使用不能に、ヒーターの断線よりネジの方が先にイカレルのね。
高温と塩化亜鉛の蒸気で腐食も激しく、電気製品なので水洗いも無理だし、運命なのでしょう。
 ネットで各社(goot、シュアー、ホーザン、白光)のコテの中から探します、写真の上にある銅の棒(直径8mm)が大量にあるので
この棒が入る100Wのコテとなります。ヤスリで銅棒を削り写真下にあるレール(60キロ)を金床にして叩いて成型します、叩くと酸化
が遅くなるようです、コテ先がチビたら叩いて成型して整えます。そこで銅棒がいいのです。
 白光のコテに希望の品があり、近所のN村ジョイに白光のコテが売っているので店員の方に注文してもらうと2日後に「入りました」
と電話が、行ってみたら前と同じ機種だった(上のコテ)、前回は秋葉原をさまよって探したのに今回はこんなに楽に手に入るとは。
 細部は少し変化があるけど同じサイズなので使いやすい、ただ同じ100Wなのに早く加熱し待機時間が短縮、作業しやすい温度が
ヒートコントローラーの目盛が60%から50%以下となり性能アップ、どうして?

新潟色のモハ70

 新潟色の70系は15年以上前に4連制作したのですが、2015の秋にKSモデルからモハ70のボディキットが発売されるので6連を目指して1両増備。
前回のモハが008(昭和25年製更新車)と022(26年製未更新車)だったので今回は081の(31年DT20台車)に、昔のキットと比べると窓枠がエッチング
になり2段窓表現がされています。妻板の手すりはエコーの客車用ステップを加工して取り付け、床下にあるMGと抵抗器は雪害対策のカバーの枠を
取り付けました。当時と違うのはカプラーで昔はカトーの165系伸縮カプラーを取り付けていましたが(M車には取り付けられずクモハ40カプラー)今回
はトミーの密連形TNカプラーに、他車もTNに交換しМ車も床板を新製してTN対応にしました。パンタはフクシマ廃業時に買いだめしたPS13(パンタ
のケースの中のスポンジも溶けますよ~!)、塗装はミッチャクロンとマッハのラッカー、何で新潟色?それは色がかっこいいからそれと昔のTMSの
ペーパー車体のきれいな作品を見たから。
 これで5連に、6連にするにはサハ87が必要、キットはなくペーパーでつくりましょうか?クハは68092で反対側はクハ75005、なんで湘南顔がいないの
かな?。トミーから発売予定のクモニ83をぶらさげるのも良いのでは。


湘南顔箱型ディーゼル機関車集合!
昔作った珊瑚のDD50といっしょに記念写真。

次も日立だ、それも笠戸
 DF90が追加工作で塗装待ち状態になった頃「もう一台日立のカマがいたよね」と10年前に購入した「夢屋」のDF93のキットも「ついでに作っちゃえ!」。
これも日立のカタログネタですが、写真の背景の山並み、そう知っている人は知っている下松の山並みです。ディーゼル機関車と言えば日頃は入替用ばかり
作っている笠戸工場製の大型ディーゼル機関車なのです(隣のDD51やDF50は水戸製)。おまけに制作年が1960年(昭和35年)!私が生まれた年!この写真
から数キロ離れた所で(梅田病院だよ)誕生しました、同じ歳にはキハ81がいる。
 1100馬力の日立マンエンジンを搭載して日立製の液体変速機を経て12本の推進軸でC-C軸配置の無心皿台車を駆動するユニークな伝動方式、国鉄ОBの
久保田博氏は「DF90は日立の野心作、93は意味不明」と語っておられました。液体式のおかげで自重は70t、軸重12t以下なので芸備線でも走れます、ただし
SGがない(DF90もない、搭載しないのはSGのメーカーがライバルの汽車製造なので自分の会社が極秘で機関車を作っているのがバレない為か?)。
タイ国鉄に輸出した機関車とよく似た車体にトロピカルな塗装、側面に「HITACHI」のロゴ(これぞ目立ち、後のED500も日立のロゴが付いていた、現在の英国
の輸出車両にも「Inspire the Next」のロゴが)乗務員扉の高さからしてわかる低い天井、そのかわり屋根上に多数ある機器、何とも不思議な機関車です。
 キットは素組です、乗務員扉がエッチングで薄くペコペコになってしまいました、屋根上機器はロスト三昧、でも冷却ファン以外の屋根上機器はなんなのでしょう。屋根
上の通風ハッチは半分ほど開いた状態にしています。このキットは価格は結構しましたが、このハッチや数がいるパーツは予備が1つ2つ入っており親切なキットです。
 台車はロスト製、適当にガタがありイコライザー効果があります。EN22一般モーター+夢屋ギヤの6軸駆動、それほど補重してませんが牽引力はあります、速度は遅い
ですが実物も最高速度は75㌔だしこれで良し。集電ブラシを取付け、(真鍮色の所、熱収縮チューブを用いて絶縁)ライトはやはりLED。
 塗装はマスキングのしやすさからまず緑、湘南緑をそのまま塗装、金太郎塗りにマスキングしてクリーム10号(キハ40広島色のクリーム)を吹きました、塗膜が厚くなり
段差はコンパウンドで消しました、塗り分けをきれいにする為乗務員手すりは塗装後に取付ました。屋根はねずみ色、台車は黒、スカートはDF90の赤!。HITACHIのロゴ
は10年前のインレタが転写されるか心配でしたが無事転写できました。
 実機は1962年5月に国鉄借入になり、そのトロピカルな塗装が似合う日本のトロピカルアイランド(島でなかった半島だった)の房総半島で海水浴臨時列車を牽引したが速度
が遅く、結局は新小岩~蘇我間の貨物列車牽引が働き場になり64年3月に返却されています。「国鉄時代」に水島臨海鉄道(当時は倉敷市営)で写真を撮られており、笠戸に
戻る途中、再就職しようとしたのでしょうか。
 日立と言えば「この木~なんの木」の「日立の樹」、作詞 伊藤アキラ(ラムのラブソング、宇宙は大変だ、答え一発カシオミニで有名)作曲 小林亜星(ガッチャマン、パッと
サイデリア、あなたとコンビニファミリーマート、寺内貫太郎で有名)。今は「世界ふしぎ発見」ですが昔は「すばらしい世界旅行」でしょう。オープニング(山本直純)には電気式
ディーゼル機関車も登場します。でもこの番組には恨みが、半年で打ち切られた「宇宙戦艦ヤマト」の後番組だったのです。
 

東芝の次は日立
 EF60の組立がほぼ終わり塗装待ち状態になって、「ついでに機関車を作ろう」と思い、クリーム一色状態のDF90を完成させる事にしました。
  平成の始めに、あの(野原しんのすけと太田裕美の)埼玉県の春日部市にあった「武里ホビー」が発売した(製造は珊瑚模型店)のキットです、箱型ディーゼルと
日立好きと電気式好きで湘南顔好きの私はすぐに購入しました。ディーゼルといえばDE10しか興味のないのは田舎物、機関車は箱型、おまけに大きい(全長16.3m)、
重い(94.5t、軸重15.75t芸備線は無理ですが岩徳線はOKです)、強い(エンジン出力1680PS)、速い(100㌔、電気制動付)、そしてこの派手な塗装(元国鉄の古老は
「ひだちはめだちじゃからのぉーと語っておられました、鉄道員はなぜか日立を「ひだち」と発音する)とても魅力ある機関車です。
 機関車の後ろの写真は我が家にある日立のカタログ、ナンバーもなく前面手すりも1本の生まれたての写真、当時のカラー写真なので赤がピンクになっています
(別ページのEF5861お召機などはため色でなく紫に近い発色になっていました)小学5年生の時から知っている機関車なのです。
 組立は前面パーツが車体は合わないので前面パーツ下に帯金でかさ上げして合わせました、制作当初は「日立カタログ仕様」にと手すりも1本としていました。
カタログのようなピンク色にしようと調色し塗装に掛り1色塗った所で引越なとで中断、長い眠りに・・・
 EF60の塗装待ちの時思い立ち、車体はIPA~リムーバー漬けに。塗装の難関を楽にするために乗務員手すりは塗装後に取り付ける事とし(こればっかり)エコーの
バンドレールノブ+真鍮線で手すりを作り、車体側はエコーの細密パイプP0806を埋め込みました。正面手すりは2本にしてARCの姿に、運転台はエンドウのEF81用を流用。
 難関の塗装の前に色の調合、EF60の塗装の傍ら3㎝ほどに切った紙片に調合した塗料を吹き付けてムサシノモデルの完成品の写真を参考に色を決定しました。
クリームはクリーム10号(キハ40広島色の)に東武セイジクリームを少し、赤は南海こうやに赤11号(キハ58)を少しで決定しました。まぁ誰も本物を見たことないでしょうし
当時のカラー写真は日立のカタログのように当てにはならないし。
 専用の保持具を作って塗装開始、ミッチャクロンマルチ~下塗り&室内色の薄緑を吹き次にクリームを塗りました、真夏なのでシンナーで相当薄めないとゆず肌になります。
次の定休日にマスキング、羽根のような塗り分けはレールロードのDF91・90の本に80分の1の図面があったのでそれをコピーして10mmの真鍮板に貼り、糸鋸とやすりで型紙
(真鍮板)を作りそれを使ってマスキングテープを切り出しました。赤塗装を一気に塗装するためにマスキングに掛った時間は3時間!
ミッチャクロンのおかげで複雑なマスキングをしても塗料ははがれず、食いつきが良く逆に飾り帯をマスキングしなくてあとから磨きだす方が大変でした。屋根上はねずみ色、
側面フィルターと下回りは艶消し黒(実は下回りは10数年前に塗装済)、ナンバーはトミーのDF50用金属インレタが品切れなので15年以上前のエンドウの金属インレタを使用、
糊が干からびており一つずつ文字を置いてラッカーシンナーで固着(いつまで持つのかな)、最後にインレタの固着を兼ねてクリアーを吹きました。
 台車はロスト製、ブレーキシリンダーが挽物で貧弱だったのでニワのロストパーツに交換、それ以上にこだわったのは本物の軸箱の蓋に「日立」のマークが鋳られいているので
模型はモデル8のパンタグラフ銘板にある「日立」のマークを貼り付けました、写真を見てもほとんどわからない自己満足。
 動力はマシマモーター+インサイドギヤ、デルリンギヤなので音はまあまあ、ディーゼルらしいいい音、集電ブラシがもともと付いているので走行は安定、6軸駆動でウエイトは鉛
なので牽引力は十分。でも試運転でポイントが連続するところで一瞬ショート、頭をかかえていましたが原因発見、砂撒き管が当たってショートしていました。
 実物は常磐線で急行「北上」を牽引した頃が華で秋田に転属した後は不遇でした71年廃車。(廃車後も土崎工場で74年あたりまで現車があったとRMライブラリー192国鉄工場
めぐりに写真が!)、せめて常磐線全線電化までおれば20系「ゆうづる」を牽引してたかも、実際何を引っ張りましょうかね。このあとも「日立」ネタが続く?

EF60
 所属している模型クラブ、今年の競作は「機関車」。競作はストックキットの解消の為にあると言うことで、作品は山陽本線を走っていた機関車EF60になりました。
キットは1988年のカツミ製 ¥13,800 四半世紀以上前のキット、床板はインサイドギヤ仕様、購入した時はまだ20代!!!
 車体は素組ですが手すりは線径を一回り細い物に交換しています、正面の手すりはいつもの「エコーのパイプを使った塗装後に取付方式」、標識灯は天賞堂の
「標識灯取付座付テールライト」に交換、これもマスキングのしやすさから塗装後に取付。車体ステップに尾灯掛として帯金を取付けています。掛けると言えば「カバン掛け」
も取付ました、今回は制作中の写真を撮ってません、おかげではかどる事。
 スノープロウは取付てない仕様なので代わりに天賞堂のATS保護板を取付ました、前面ステップはBONA製のロストパーツを使用しました。昨今は電気機関車の
パーツを発売しているメーカーが少なくBONAは貴重なメーカーです。
 屋根上モニターはガラスを入れる事を考えてビスによる取り外し式、パンタ引き込み母線はエコーの#2696、パンタハIMONのPS17ホーンタイプ。車内への引き込み
線はキットのパーツが実感味がないので、碍子の所はそのまま使用しその先はやはりエコーの#2696を組み合わせました。
 台車はカツミのEF65用(現在はメーカー在庫切、買っておいてよかった)に砂撒き管を取付ました、台車ステップもパーツがなく電車の乗務員扉下ステップを加工し
それらしく見せました。動力はEN22高速とMPギヤの現在の標準仕様、ウエイトがホワイトメタルで軽く、試運転で長大貨物編成でKATOの機関車に負けてしまったので
側面モニターや屋根上モニターに鉛板を貼って補重しています。
 塗装は染めQの「ミッチャクロンマルチ」をプライマーに使用、サハ87でひどい目にあったメタルシールプライマーと違い抜群の強さ、安心してマスキングができました。
ただし「ねばい」ので1色目の塗装が済むまで従来の塗装ホルダーが使えず(キハ20島原に写真有)屋根上モニターの穴を利用したホルダーを作りました。
青15号とクリーム1号はガイアカラーを使用、下回りはマッハ、Hゴムはリキテックスを烏口で、パノラミックウィンドウの窓柱はプレス製で実感がなく、切り落とし別に帯金
とカトーのEF65の窓柱を接着したものを裏から貼りました。ナンバーはトミーのEF63用の金属インレタです。広島機関区所属の東芝製を選び74号機に。500番台と同じ
運転室側面窓がHゴムは47~83号機までの少数派。
 昨今話題の東芝、私は日曜9時のTBS系「東芝日曜劇場」のオープニング「光る東芝」(作詞 峠三四郎、作曲 越部信義 唄 ダークダックス)ナレーション押坂忍と
2時間半前(山口県は同時ネットでなかった)の「サザエさん」でしょう、(サザエさんの劇中音楽も越部氏)、もう一つは「光速エスパー」東芝のお店の前にありましたね。
 ライトは3mm砲弾タイプLED 電球色 コンデンサーをつけてちらつき防止しています。プラ貨車1200tをスケールスピード(75㎞)で7.5V 0.3アンペア、10‰で0.45アンペア
、もちろん勾配起動します。これで当鉄道の貨物機に強力機が加わりました、貨車を増やさねば。
 競作は完成したのですが、今一つ地味な機関車なので・・・
 


「光る東芝、走る東芝、すごい力!」

21分の10番目
 ちびちび制作している80系電車、6連×2本・4連×2本プラスサハ1両の計21両の壮大な計画、1両でも増やそうと楽なもの
から制作(せんないのはあと回し)。300番台のサハ87、アクラスでなくKSの真鍮キット。チャチャと組んで塗装で大失敗、シール
プライマー(FUJI)・内装の淡緑・緑2号・黄かん色(マッハ)の順で塗装してマスキングテープをはがすといっしょに客ドアの緑が
いっしょにはがれて真鍮の地肌があらわに!。よく見ると地肌にシールプライマーは付着していて塗料だけはがれています。
シールプライマーとマッハのラッカーの組み合わせは最強だったのに一昨年の485系制作の頃からおかしくなりはげるのです。
ラッカーはそれ以前の購入だしラッカーを薄めるシンナーもエコーで売っている「ほんまもん」なのになぜ?シールプライマーの
成分が変わった?
 ちょうどドアの所だけはげたので周りをマスキングして緑を吹いてごまかしたのですが質感が異なり仕上げのクリヤーを吹くまで
間が開いてしまいました。クリヤ-の後屋根の塗装は緊張しました、ハゲないか・・・、なんとかはげず完成しました。
 車番はサハ87305 実は広島局にはサハ87の300はこの1両しかいなかったのです、それも1978年頃静岡から転入してくるまで
は1両もいなかった(初期はおったが後に転出した)のです。6連の80系300番台の揃った編成はまずなかったでしょう。
模型は台車はエンドウ、床下機器日光、ベンチレーターはエコーに交換、床板アルミに変更、カプラートミーTNカプラー、座席エンドウ

 これで10両目、クハ86を2両作れば6連+4連ができるのですがいつの事になりますか。早く湘南顔が見たい(クハ863枚窓とクハ85
が現在の先頭車)。

列車掛の環境改善
 1/80でトミーからコキ50000系が再生産されました。コキフ50000のみ単品売となり、それもコンテナなし仕様になりました。
さてコキフ50000と言えば実物は乗り心地が大変悪く(そりゃそうだ、コイルバネで荷重28tを支えるとなれば柔らかいバネ
を使用できる訳がない、車掌側は少し柔らかいそうだ)、特にコンテナを積載していない時は最悪だったそうな。当時の
中国新聞に記事が出てた覚えがあります(組合が記事にさせた?)。
 そこで「53・10」ダイヤ改正で余剰になったコキ10000の台車(TR203空気バネ)をコキフ50000に履かせ(コキフ51000)、余った
コキ10000は車体を短くしてコキフの台車を履かせてレール輸送のチキ5200に改造されました。ちなみに広島保線支区時代
広島駅常備の5273・5274のお守を私がやっておりました。
 余ったコキフ10000はブレーキを改造して(100㌔→95㌔)コキフ59000となりました、それがこの写真、カトーのコキフ10000を
モリタの赤3号で塗り替えただけの物、簡単に新形式が出来ました(実は十数年仕掛かっていたのですが)。唯一こだわった
のは台車の上の台枠に見える白い物「オイルダンパプロテクター」を取付た事、写真コーナーのどこかにあるコキ19000の
取材の時寸法を測っておりました。エバーグリーンのプラ材で作り、白は筆塗りで本物らしく刷毛塗り感を出して。
模型の列車掛もこれで快適な乗務ができそうです、机と椅子とストーブを作らるば。



 コキ50000の列車は前後にコキフが連結されていたので反対側のコキフはトミーのコキフとなりますがカトーのコキフ10000
の台車に交換する予定です、余ったTR223台車はワキ59000にと計画は果てしなく。
 Nではコキフ51000の台車交換は10000と50000では台車の首の長さが違うので簡単にいかなそうです、280両もあり多数派
なのですが。コキフ59000は14両の少数派ですが、改造はトミーのコキフ10000を塗り替えるだけで簡単にできます。「モリタ」
の塗料が絶版ですが「赤茶色」なので調色は簡単でしょう。 
 でも模型店でコキフなんて今時売れませんよね、四半世紀前に消滅したのですから、昨今のJR貨物の脱線事故を見て思い
ますが、やっぱり貨物列車の最後尾にはコキフと列車掛が乗務したほうが良いのでは?ただしコキ100系も乗り心地が悪そうです。

長い中断でごめんなさい、485は・・・
このコーナを続けるには別の模型制作にします。
競作
 私の所属する鉄道模型クラブ(入会30年になります)では毎年作品コンテストを行っており、今年のお題は
「アルモデル製広浜鉄道モハ90キットを使用した作品」でした。実は485系は前年のコンテストの作品で3両
しか完成しなかった。
 コンテストは毎年8月の盆明けに行われるのですが、会場の公民館が8月の広島市土砂災害の現場に程
近い所にあり10月に延期になりました。8月、10月の当店の臨時休業はこの関係です。
 で、私の作品はこれ


キットそのままのモハ90、ただし時代は戦後の国鉄可部線パンタは付仕様(オリジナルはポール)。
屋根に「ヤグラ」を組んで無理やりPS13パンタを乗せた姿です。


 床下機器はエコー、台車は日光ブリル27MCB2、カプラーはイモン、そして動力はパワトラが手に入らないので
最近話題のマスターピース製のNSドライブユニット。「いさみや」の釣掛動力よりはスローが効きますが、速度
調節がむずかしい。ただし模型屋の店主としては新しい商品は積極的に使用することが大事でこれも宣伝。


 キットは側板と屋根が一体になった物に前面を取付け、オデコはホワイトメタルのパーツを取付けるようになっていましたが
継ぎ目の処理と接着がむずかしそうなので屋根は木製にすることにしました。そこでまず車体を真っ二つに、でもその前に
屋根上機器の取付穴の位置は記録しておきます。


 側板を仕上げて屋根板取付用のアングルを取付けます。前面を取付け箱にします、レールロードのキットを作るみたいです。


 木製屋根板を切って削って車体に合わせます、屋根上機器の取付穴を開け、そこに割れ防止に瞬間接着剤を流し
サンドペーパーで仕上げた後サーフエーサーで下地を整えます。車体との取付は屋根板裏に真鍮板を貼り、そこにタップ
を立て、車体側の屋根板取付アングルに梁を通しその中心に2mmの穴を開け屋根板を車内側よりネジ止めします。 
 ルーフィングサンドを撒き、艶消しダークグレーを塗れば少々屋根のカーブが変でもわかりません。この後写真は撮って
いません、制作で写真を撮るのを忘れています、ブログなどみなさんマメにし撮っていますね。

485系



 今は良い時代です、16番の485系も金属製品を買わなければ4両で4万円台、8連で8万円でトミー製のディーテールたっぷり
の製品が買えます。



 昔は高かった、今から38年前の初代カツミ製485系、2個モーターのモハ484(写真)は\11,500、現在
のプラ製品と当時の金属製品の価格がほぼ同じとなりますが物価が違います。とても中学生では買えません。
そのあと発売された小高のペーパーキットで制作するしかなかった。
 写真のモハ484はお客様からの依頼でモーターをDV18からCN22に交換した際に撮影したもの、485系
なのに181系並みに車高が低いのが初期製品の特徴。



18年ほど前にカツミから485系200、300番台のボディキットが発売になりました、まだプラ製品はトミーが10系寝台車を
発売した頃で485系は金属製しかありませんでした。200番台で8両購入して組立始めましたが、父は御星様になるは
引っ越しで長い休眠(熟成)状態になってしまいました。
 今年の模型クラブのお題が「電車」なので「仕掛品を完成にする」をポリシーとして485系のキットを完成させる事となり
ました。久しぶりに箱を開けると「ガーン!」カツミは車体がビール袋に包まれておらず経年で説明書のコピーのトナーと
真鍮の車体が反応して裾が錆でしまっているではないですか。ブラスクリーンやサンポールで磨いても完全にきれいに
なりません。おまけに表面の凸凹が残ります、修正が必要になります。
 キットを買ったらすぐに作りましょう、でなければ保管中は時々キットの状態を確認しましょう、珊瑚のキットの黄色のスポンジ
は溶けて車体にくっつき腐食するので捨てましょう。



 制作開始、まずは妻板から。妻板をガイドに車内の仕切を作ります、モハ485ではデッキと客室の仕切とデッキとトイレの仕切
の2枚、クハでは運転室の仕切が追加、サロでは仕切が多く4枚必要です。モハでは非デッキ側の室内に仕切(出っ張り(115系の
モハにもある))が3.5mm程あるのですが付けずらく、そうは言ってもこの後述べる妻板のドア、手すり、ダンパ、ダクトの足が見える
のは不細工なので塗装後にペーパーで作る事にしました。



 クハ481-200の妻板、床下に大形MGを搭載している為その冷却用のダクトがあります、貴重な鉄道ピクトリアル誌に掲載してある妻板
の写真を見ながら位置を見るとキットの取付穴は写真下、ちょっと上に寄ってます。穴を開け直します。貫通ドアも抜いてドアは別パーツ
にします。



 手すりを取付、貫通扉はKSのパーツを取付ます。幌の取付位置も違うので細長い穴は埋めました。
ダクトは仮に付けてあり塗装直前に接着します。



 ボディの加工、プレスで浮きだされている雨樋の裏側に真鍮線をハンダ付けします。



 なぜって、それはプレスで浮き出ている雨樋の見栄えともつ一つの事で削って新規に雨樋を取付なければ
ならないからです。裏に真鍮線をハンダ付したのは車体の強度の確保の為、昔のTMS誌の横山氏の115系
身延線の記事を参考にしました。ついでにサボ受・号車札差しも削ってしまいます。
18年前サロ481の作りかけを模型クラブの人に見せたら「せっかくエンドウの良い所を・・・」と言われました。



 雨樋を真鍮線で表現します、エコーのシルヘッダー取付治具を使いますが485系は車体が丸っこいので
既存の押さえ板が使えないのでスペアのフリーサイズ用を加工して使います。雨樋は当初0.7mmを取付た
のですがどうも太く見えます、塗装で赤に塗るとますます太く見えそうなので0.6mmに変更しました。



 島原の時はサンドペーパーで雨樋を平たく削っていましたが近所の「ナ〇コ」で見つけた「壺」印のヤスリ
これは良く削れます、さすが広島の特産品。



 雨樋を削って付け直した理由はこれ、端のじょうごを表現するためです。プレスではじょうごが取付けられません。
この写真の雨樋はまだ0.7mmの頃。一流特急電車の条件1、妻面に縦樋があってはならない、151系485系キハ
82などありませんよね、183系はありますよねこれが二流の証、扉が2枚で三流に転落。
 削った号車札などをエコーのパーツで再現、中間車に設置してある非常口はマッハ模型の「381系パーツ」にその
ものがあるのでこれを取付ます。妻にはアンチローリングダンパーも取付られ特急電車らしく。
 妻面の縦樋がないのは元祖特急電車の151系には外幌があった為でしょう、キハ82も試作のキハ81が外幌付で
これがそのまま続いたのでは?完全新規の581系には縦樋がありますよね。



 特急車両の証その2、エンド標記が鋳物製。模型もエコーの№1678「区名札差しとエンド板セット(洋白製)」のエンド板
をハンダ付けします。①と②を車体の裾の隅に取り付けるのですが直径1mmもない小パーツなので飛んだら最後、
見つかりません、取れないようにしっかりハンダを流します。



 車体工作の最後、屋上機器をカトー(ベンチレーター、ダクト)とトミー製(クーラー)に交換するのでその下準備。
取付穴を広げたり埋めたりします。



 下回りの工作に進みます、485系の200番台には循環式汚物処理装置が付いています(私は昔1年ちょっと全施労)。
本来ならエコーのパーツ(写真上)を使用するのですが中間の連結器にトミーの密連形TNカプラーを使用すると取付
られなくなるのです、どうしょう?と悩んでいるとトミーのパーツカタログに485系の床板が分売パーツで売っているでは
ないですか、それも汚物処理装置付で。床板800円で床下機器と汚物処理装置、それにシャンパー栓までつけばこっち
でしょう、おまけにTNカプラーの取付座までついている(あたりまえ)なにせエコーの汚物処理装置は700円もするのですから。
キットに入っているホワイトメタルの床下機器は使用しない事に。
 全施労とは「全国施設労働者・・・」と昔国鉄にあった保線関係者の組合です、広島鉄道管理局では唯一柳井だけあり
スローガンは「列車黄害反対」がスローガンでした。その昔大畠~柳井港間にこのスローガンの看板がありました。レール
交換の直前の列車(153系の快速)が徐行で目の前を通過した時トイレ流し管から「黄色の物体」がボトッと新品のレールの
上に落ちました、「えーえ」といいながら列車通過後すぐさまレール交換作業に、当時はО157とか細かく言われなくそれで
終わりましたが保線従事者こそ汚物処理装置の設置はありがたかったと思います。



 トミーの床板をそのまま車体にはめ込む方法もありますが、台車は金属製を使用たいので(動力もMP)キット
の床板に床下機器を貼りつける事にしました。車端部と中心部そして車端部の3か所、糸鋸でおおまかに切って
あとは粗いサンドペーパーで車体の裾かに床下機器のベースが見えなくなるまで削ります、鼻の中が真っ黒。



 薄くなった床板をキットのアルミ床板に貼り付けます。手前の床板の欠取はTNカプラーを避ける為のもの。
接着剤は3Mのスコッチ スーパー多用途。



 車端部はこんな感じ、キットの床板止のアングルに元から開いてる床板取付用のビス穴を移設しなければ
ならない所があります。プラ床板の方もビスの所は加工しなければなりません。アングルに座席取付用の欠取
をします。
 こうすれば台車はエンドウの台車が取付られます、走行音を考えると金属台車がいい、動力もMPの方が静か。



 先頭車のクハ481、制作するのは200番台、トミーの分売床板は300番台なので加工します。200と300では車体長が
250mm違いますが台車中心間隔は同じなのでアルミの床板は加工しなくて済みます。200には床下にコンプレッサー
が搭載されているので取付ます。サシ581の床板にあるC2000コンプレッサーを取付ます、エアータンクも形状の良い
エンドウのプラパーツに取替ます。サシ581の床板はほかにも汚物処理装置の向きが逆のがありサロ481に使用します。
 実物のコンプレッサーの話、ブレーキやドアの開閉、空気バネなどに使用するこの機器、国鉄形電車で見ると1両あたり
500ℓ/mim必要のようです。105系のクモハ105に搭載のC1000(数字が容量)でクモハとクハの2両、115系のモハ114に
搭載のC2000で4両、電気機関車に搭載のC3000をボンネット内に搭載のクハ151やクハ481は前後合わせて6000を12両
と1両あたり500必要なのがわかります。C1000がモハ112に搭載の113系は下り寄りのクハにC1000を搭載して4両で2000、
115系3000番台の下り寄りのクハにC1000が搭載して4両で合計3000は無駄、でも当初中間車の一部はモハ110でしたので
4両で1000では到底容量が足らないのでクハにも搭載されたのでしょう。
 なぜここまでこの話なのは、583系はクハネ(581、583)にC2000が搭載、これでは12両では不足なのでサシにもC2000で
合計6000で足ります、しかし485系の200番台の編成はクハに2000が搭載してあるだけで12両で4000とは容量が足らないの
では?かわいそうなのはコンプレッサーの真上に座るお客様、115系に乗るとわかりますが結構うるさい、300番台から運転台
助手席の下に搭載されたのはこれが原因でしょう、クハネ583も同じところにあるのも寝台の真下には設置できなかったから
でしょう。碓氷峠で空気バネをパンクさせ復帰させるのに大量のエアーを消費する489系はクハ489-600、700番にはC2000が
2台搭載されています。485系1000番台もサロにC2000が搭載されています。
 運転台が狭い、コンプレッサーがうるさいとあまり良い印象がない485系200番台ですが私にとれば当時の最新モード先頭車
クハネ581と同じ顔の485系200番台が好きなのです。



 サロ481は床板の分売がないけれどキットの床下機器をそのまま取り付けたのでは編成で違和感があるので自作します。
他車と同じように床のキーストンプレート(波形鉄板)を表現するために「エバーグリーン」の「メタルサイディング」を貼ります。
20年近く前、日本に輸入された時「これはキーストンプレートに使える」とひらめいて、数年前ナロ10の床下に使用したのが
初めてでした。実物の図面を見ながら横梁もエバーグリーンの帯材をシンナーで貼ります。



 完成した床板にC2000が取られたサシ581の床板からサロに必要な機器を取り出して取付ます、リアルな床下でしょう。
でも床下にこだわってどうするの、485は「走る変電所」、そうモハ484の屋根上がすべてでしょう!



 モーター車は床下機器をレリーフ状に切断して床板にネジ止めします。キットは(完成品も)モハ484がモーター車ですが
制御器や主抵抗器(写真)でモーターやウエイトが隠しやすく、モハ484だと屋根上機器が多くメンテナンス時に破損しそう
なのでモハ485をモーター車にしました。8両編成でモーター車は2両が指定ですが床下がプラで軽量化されたので1両だけ
にしました。もう1両のモーター車用の穴あき床板は使わずアルミ板で新製しました。ウエイトは今や貴重な鉛製のウエイト。



 座席の取付、10mm幅のアルミ板(モーター車は真鍮板で少しでもウエイトに)にカツミのプラ椅子シングルを貼ります。このシートは
近鉄ビスタカー用なのでシートピッチが広く1脚ずつ切断して貼ります。シートの欠取りはモーターを避ける為です。トミーの分売パーツ
がありますが、あれは簡易リクライニングシートで二人掛けの真ん中に切れ込みがあるので使えません、200番台はベンチシート。
 グリーン車は豪華に天賞堂のリクライニングシート、シートピッチ1160mm=14.5mm。スロ53から変わらない寸法です。これも
トミーのパーツはグリーン車なのに椅子は普通車の椅子でシートピッチが広いだけで使えません。
 取付はカツミ・エンドウ方式。


 
 先頭車の組立、狭くても、すきま風が入っても貫通形はかっこいい、何せ581系と同じ顔だから。
運転台の窓サッシがない!切って削ってしまいました。


 
 実はこのキットを買った頃「高頭アトリエ」と言うメーカーから581系運転台窓サッシパーツが発売され(581系車体キットが発売され、
その関連パーツ。もちろん581系のキットも購入)これを485系に使用しようとしているのです。削りすぎないように慎重にピタリとはまる
ところまで削ります。

 

「キハ20」



 お客様よりフジモデルのキットキハ20の組立を受けてしまいました、ディテールよりも塗装をすっきりの方針で制作開始。
マスキングを楽にする為前面手すりは塗装後の取付とし、キットにある手すりの穴を0.6mmに広げエコーの細密パイプP0604
を差し込みハンダ付します、これで塗装後に差し込み接着するときののりしろになります。1両で12か所、手間ですがマスキ
ングが楽にできるためにはやっておかないと。でも一般色では塗り分け線にかからないのでは?。尾灯掛と足掛も塗装後に
接着します。



 車体側面は乗客ドアを取付、次は乗務員ドア、でもその前にドアパーツに手すりの穴の逃げを作っておかないと。
ドアを取付てから穴を開けようとするとドアパーツはプレス加工されているので金属内に応力が掛っておりとても固い。
高価な0.4mmのドリル刃を折るよりは糸鋸で切欠いておくのが正解です。両方の手すりも塗装後に取付、ここはのりし
ろがあるのでパイプは差し込みません。


 
 前面を取付たら(写真撮るのを忘れた)側面のアングルの取付。カツミのアングル取付冶具を3mmにセットし(3mmに
セットしたままですが)ハンダを流してゆきます。白い物は石膏の棒、これを介して手で持てば熱くないし側面とアングル
が密着できます。L形のコテ先で室内側の方にハンダを流すよりも手軽です、はみ出たハンダは目の粗いペーパーで
簡単に削れます。
 アングルの高さはメーカー指定は2.7mmですが、床板0.8mmと床下機器取付板2.0mmの合計と余裕の0.2mmを足した
3mmにしています。



 雨ドイ、ヘッドライト、タイフォン、テールライト、幌枠を付けた姿です。おでこの継ぎ目もハンダで盛ってペーパーで
削って整形、乗務員ドアの横の継ぎ目も整形。乗務員手すりをハンダ付けするとまたそこが溶けるので塗装後に取
り付けるのがやっぱり正解です。チラッと見えるアクリルの角棒、これにサンドペーパーを貼って簡易やすりを作り削
ります。雨ドイの先のじょうごは0.8mm厚の板を直角三角形に切り出し取付ました。



 キットの床板に両面テープを貼りタミヤの320番のフイニッシングペーパーを貼って簡易やすりを作り側面の雨ドイを
削ります。雨ドイは0.7mmの丸線なので(取付の際丸線のほうが一直線になりやすい)表面を平面にする為に削ります。
車体まで削らないようマスキングテープで保護します、ゴシゴシ金粉キラキラ。



 キハ20は実物が縦型エンジンムを搭載しているので車体裾の高さが一般の車両にくらべて高いのが特徴です。
一般の車両はレール面から約1m=12.5mmですがキハ20は1mm高く13.5mmとなります。そこで床板の加工が必要
となります。付随台車側の加工、台車はエンドウのDT22を使用するのでマクラバリは#5922付随台車用マクラバリ‐
2(MP対応)を使用しますがそのままでは低くなるので床板をかさ上げします。リーマーで元の穴(6mm)から10mm程度
に広げます。自分の制作したキットの床板を軽量化のためアルミにして余った床板から台車取付部を切り出します。



 帯板をはさみ厚みを調整してかさ上げした床板、



 こちらは動力台車側、天賞堂のパワートラックWB26Bがお客様の指定でしたのでこれに合わせて床板を少しかさ上げ
します。


 
 定盤の上に乗せてチェック、レール面から裾までが13.5mmになりました。逆にカプラー取付位置も変わるので次はその
加工をしなくてはいけません。



 床板車端部の加工、ジャーパー栓はエコーのパーツを取付ますがそのまま取り付けると下がり過ぎるので端の床板を
真鍮帯金などでかさ上げし取付ます。エアーホースもハンダ付、カプラー高さ調整にエコーのカプラー台を取付けてケー
ディーカプラーのゲンコツの中心がレール面から10mmになるようにします。



 いよいよ塗装、金属車体にニトロセルロース系塗料を塗装する時いちばん強力なプライマーは「マッハ模型」のメタル用
シールプライマーです。問屋卸をやめたので「フジモデル」が代替にシールプライマー(メタル用)とマッハと同種のものを発
売しているのでこれを使用します。下地をきちんと処理してこのプライマーを吹き、マッハのラッカー(ニトロセルロース系)
を塗れば塗料はしっかり食いつきます。もちろんビンに入れる時は濾紙でこします。



 こんなけ塗らなければいけません(忘れたのがあってまだ追加がありました)。その前にクリームクレンザーの「ジフ」で磨き
「サンポール」で酸洗いをしよく流水で洗いドライヤーで強制乾燥させます。小物は手前の茶こしの中で洗わないと部品が瀬戸
内海に流れて行きます。目玉クリップ大活躍、手すり、尾灯掛、足掛、窓枠、スノープロウ、ベンチレーターなどの保持に使います。
Nのキハ40が見えますがこれは一緒に塗装するからです。



 手すりは数が多くクリップがいくらあっても足らないので足掛共々板にマスキングテープヲ貼って保持し塗装します。



 シールプライマー塗装中。でもこれを塗るときれいに削ったはずのハンダがよく目立つのはなぜでしょう、いつも落ち込みます。
背景の花びらはサザンカの花「♪さざかかーのー宿~」(古い)、その花の蜜を求めてスズメバチが一匹旋回中、シンナーの臭い
も好きだそうで。



 プライマーが乾いたら(数十分でOK)まず下回りの塗装、マッハの23番「つや消しネズミ」を使用します。床板、床下機器、幌のほか
下塗りとして大量の後付けパーツもこの色で塗っておきます。Nのキハ40もタラコ色を消すためにネズミ色を吹きます。キハ58の時に
も書きましたがKATOの車体の樹脂ABSはニトロセルロースラッカーには侵されません、侵されるのはGMキットや窓ガラスなどのスチ
ロール樹脂です。



 火曜定休日の午後、次は車体「淡緑1号」を車体内側にまず吹きます、この色を塗ると国鉄っぽくなります。



 最近のキットは窓枠が洋白二段サッシなので車内側(写真は外側ですが下塗りとして)にもこの色を吹きます。



 車体の表も下塗りとして淡緑色1号を吹きます、ガンと車体はこれぐらいの近さ、塗料が液体のまま車体に到達
します。フラッシュが当たり車体に艶があるのがわかります。ホコリが付いたら乾くのを待って2000番の耐水ペーパー
で水砥ぎして除去します。塗り終えたら乾燥で火曜日の作業はここまでですがNのキハ40のクリーム色塗装がこのあと
続きます。



 次の定休日、車体表面の塗装。室内側をマスキングします、テープはホームセンターで売っている普通のマスキング
テープです。



 クリーム4号(特急クリーム)を何回もまんべんなく吹きます、次は塗り分けなので今日はこれでおしまい。
乾燥中の車体を匂うといい香り?、たまりませんなー。GMのアクリル塗料と違う濃くのあるいい香り?。



 翌日塗り分けのためのマスキング作業。車体から塗料のシンナー分がまだ蒸発しているのでほとんどを普通の
マスキングテープで覆います。塗り分けのところだけタミヤのマスキングテープを使います。
 なぜならタミヤはテープの糊がアクリル系で(住友3MのOEM)ニトロセルロース系塗料の溶剤と相性が悪くテープ
の糊が塗装面に付いてしまいます。乾ききらないうちにマスキングをして翌日塗装したらすごい事になります。同じく
塗り分けてテープをはがすのが遅かったらこれも最悪の事態になります。GMなどのアクリル系では問題ないのですが。
 普通のテープは糊がゴム系なのでニトロ系塗料とは相性が良いのですが糊が弱いのでシャープなマスキングには
ちょっと、と言うことで塗り分けの所だけ禁断のタミヤのテープを使用します、マスキングゾルも併用。
 でも大方の安芸門徒の方が気になっているのは、なぜここにマスキングをするのと言う事でしょう。窓回りをマスキング
するのが正しいはず、その昔キハ20の準急色は広鉄管内に存在しましたがキハ20の急行色はなかったはず、ここからが
この塗装の大変なところです。



 マッハ模型のラッカー№3「急行形気動車キハ58 赤」(赤11号)。
昔ある映画に立ち食いそば屋「マッハ軒」というのがあったような。



 車体裾の吹きます、塗料が生乾きのうちにテープをはがします。すべって塗装面に触れないように!



 次は窓回りと雨どいの塗装。裾と一度にやれば良いのですが気力と根気が・・・
窓回りと雨どいの塗装が終わりました、どこの気動車かわかりましたか?



 どうしてもマスキングがうまくいかなかった所の補修、車体をほとんど紙でくるんで修正箇所のみマスキングして
塗装します。



 乾燥待ちの間に窓枠の塗装、タミヤスプレーのアルミシルバーを吹きます。



 マスキングテープを細切りにして「ヒゲ」の表現、左右対称になるように、おまけに両運転台なので2か所。



 正面雨どいのマスキング、4つ前の側面の雨どいの塗装は今回やるべきでした。左の写真、後ろに写っているのを
気にしない事。



 ここまで来ればわかりますよね、島原鉄道のキハ20形、国鉄からの譲渡車なのでトイレ付の2005~2019。
発注者は「天草四郎」様(仮名)、島原といえば隠れ切支丹の里、山本正之氏の歌に「私のカレは隠れ切支丹」
と言うのがありまして今回はこれを聞きながらマスキング。♪いえすさま~~
 続いて屋根の塗装、正面は雨どいの太さ分赤を残してマスキング、これまで天気に恵まれましたがとうとう
天候が良くなく銀色を塗る時は大変でした、あと一息!



 島原鉄道のキハのオデコは水色?で塗装されています。その筋の方によるとGMの伊豆急ハワイヤンブルー
が近いそうで凸形にマスキングしたのちに吹付ます、ここまで何回マスキングをした事か。
 こうして塗装作業は終わりました、オデコの水色を見るとチョンマゲ頭のオデコのソリあとが青いのと似てますね。
乾燥したら手すりなどの別付け部品の取付作業です。



 塗装済の後づけパーツの取付です、塗装を傷めないように慎重に。正面の手すりはクリームのラッカーで接着、
尾灯掛と足掛と渡り板とこの反対側の前面に取り付けるジャーパー栓はエポキシ接着剤で接着します。
 側面の手すりはスペーサーとして厚紙を仮にはさみ室内側の線を折り曲げてエポキシで接着します。この時
床板に支障する事があるので事前に床板を一部欠き取る必要があります。5分硬化の接着剤ですが4面一度に
接着作業できないので結構時間がかかりました。



 車番を貼ります、なつかしの「こみや」(悦ちゃーん)のレタマーク。社紋は黒色がないので省略。正面はインレタでは
段差があって貼りにくいので一旦クリヤーデカールに転写して貼ります。その後車体に半ツヤクリヤーを吹いてやっと
塗装作業は終わりました。



 Hゴムの色差し、水性アクリル絵の具のリキテックスのグレーを水に薄めて30年以上前に買った烏口で色差しします。
製図の時に使う物ですが製図はコンピューターでCADの時代、工業高校の製図の授業で使うのかしら。漫画家がコマ
の枠を書くのに使うのが現在の烏口の用途か。



 動力装置はお客様の指定で天賞堂のパワートラック、初めて買ったのは高校2年の正月明け、広島に行き今はなき「ニイタニ」
で買って583系に取付けたと記憶してます。
集電ブラシを慎重に正しくセットするのが重要な事です、あと黒いプラの軸受の所にグリスを塗っておきます。



 走行を安定させる為、付随台車に集電シューを取付ます。スパイクモデルの「MP電車用集電ブラシ」を絶縁側の車輪の踏面
に当たるように、そしてショートしない位置に取り付けます、パワトラが全車輪集電なので走行は安定します。



 センターピンやパワトラや集電シューの電線はすっきり配線したいので、私は厚紙の上下に両面テープを貼り、床板に貼ります。
上側に真鍮の帯金(客車キットに入っている厚くて役に立たないシルヘッダーの有効活用)を二本並べて貼ります。これに電線を
ハンダ付けすれば配線がすっきりします。



 室内灯はつけんでええが ライトはつけてと言う注文だったので「のぞみ工房(モデルシーダ)」のLEDをとりつけます。
配線済なのでコードが゜目立たないように両面テープで取付けます。



 完成しました、南国島原にスノープロウはおかしいのですがお客様の注文です、たしかにスカートがないので正面
が締まらない。無事天草四朗様に納品されました、前回このお客様は「太宰治」様と名乗られていました。



 これがベースのフジモデルのキットです、説明書は部品表とアングルと雨どいの位置だけ、参考資料は古い実物誌の
号数だけ、キットと言うより「素材」ですね。「荻原教」(フジモデル、フェニックス、KSモデル、KODAMAモデルの総称)
のキットを作る人に参考になりましたか?当店に来られたらいろいろ教えてあげます。 おしまい


「そうとう」といえば


 そうとうと言えば総統、ヒトラーでなくデスラー総統でしょう(エコー付で)ハッハッハ 「ヤマトの諸君、私が総統のデスラーだよ」
でなくて模型の話、「双頭連結器」、トミーのEF63の分売パーツ。機関車は1両しか売れませんでしたが(エコーの阿部さんに言ったら
「うそでしょう」と言われましたが)パーツは結構売れています。ケーディと密連両方連結できるのですから、さて何に付けようかな。
 蛇足ですが「藤原模型店」の当初の店名は「イスカンダル模型」の予定でしたがエコーモデルの阿部さんに「変なドイツ語の店名
にしたらだめですよ、藤原さんの店なんだから藤原模型店でいいんじゃない」と言われ今の名前になりました。イスカンダル模型だ
と駅から1年かかりそうな遠い店に思われそう。


 付けた車両はマヤ34、モアの完成品です。乗った事のある車両なので(車両が揺れると記録紙のペンも揺れる)迷わず買いました。
客車ですが電車の中間に連結する事もあり双頭連結器を装備しています。カプラーの根本の形状がケーディの5番ににているので
小加工で取付られました。連結する相手はいたかな?。カプラー当店で発売中1個入り¥567

モジュールレイアウト


 所属する模型クラブの今年競作は「モジュール」。KATOのモジュールパネル900(#24-007.300×900mm、高さ100mm)を用いて
手前から100mmに線路を引いて両端はユニトラックの60mmを規定の位置に設置して隣のモジュールと接続できると言う「お題」。
 キハ40や瀬戸内色ばかり塗っている日常なので制作開始は梅雨になってからでした。一面青か黒に塗って星を散りばめ宇宙空間に
見立てて「メーテル様かスターシャ様」を置いたモジュールにしようかと思いましたが、やっぱりまじめに駅を作りました。
 駅の横に水路があるのでそこから取り掛かります、ジグソーで欠き取ります、今まで人が上に乗っても大丈夫なレイアウトばかり作って
いたのでパネルの板厚の薄い事!。60mmのレールを固定します、これが基本となります。


 厚紙で水路の壁を作ります、コンクリート製の味わいの無いものですがプロトタイプがこれなんでしょうがありません。
線路は接続レールに合わせて篠原のコード83#フレキを使用しますがプロトタイプは生意気にもPCマクラギ(保線では
枕木・まくらぎと書かなくマクラギが正しい)なので差し替えます。本数も25m(模型では312mm)あたり39本なので相当
間隔が開きます、1本づつ切り離して間隔を広げます。ちなみに83#の25mあたりのマクラギ本数は47本、東海道山陽
本線のPCマクラギ以前の木マクラギの本数です。
 フレキの下は調整用の厚紙、その下はコルクシートでKATOの線路に合わせます。これでは道床の厚みが厚いので
周辺を3~6mmの板でかさ上げします。接続レールは踏切となります。


 水路のコンクリートはタミヤの「情景テクスチャーペイント」の路面ライトグレイで表現します、平筆でペタペタ。
ただし色調がグレーすぎるのでタミヤアクリル塗料のクリームを少し混ぜた物を再度塗りました。
道路のアスファルトも「路面ダークグレイ」で表現します、こちらは厚紙のヘラで左官のようにして塗ります。踏切
はガードレール、カポール(レールと敷石の間にある木材の事)はバルサ、敷石はプラ板で表現しました。これで
バラストがまけると思ったらまだまだ先は長い。


 バラストを撒く前にホームを作らないといけません、これが難物。普通は土盛りのホームて゜PECOのホーム側壁
や角材や紙でおおまかな形を作り側壁のディテールを表現すればいいのですがこの駅は新駅、ホームは鉄骨で
出来ています。エバーグリーンのプラ材で作ろうかと考えましたが、丈夫さと耐久性そして作業が早い事を理由に
真鍮ハンダ付工作となりました、梅雨末期のくそ蒸し暑い頃に。
 1×2.4×1のチャンネル材を背中合わせにハンダ付してH鋼を作ります、これが足になります。これにホームを支
える2.5×0.4の帯金と1.5角の角線に直角にハンダ付します、補強のアングルも斜めにハンダ付け。長さ60㎝の構造
物、いままでで一番長いハンダ付け工作です。プライマーを吹きラッカー塗装します。


 車両を置いてホームの位置合わせ、ホーム本体はペーパーで作りサーフエーサー仕上げで厚さ3mm。この駅のホーム
高さはレール面から920mmなので11.5mmになるようにホームの骨組みを設置します。台枠に穴を開けて足を差し込み慎
重に高さを調整します、決まったら裏から接着剤で固定します。


 レールの継ぎ目のところにはPCマクラギでなく木マクラギの「大判」が敷設されているのでバルサで作りレールの
下にタイプレート(締結装置)に見えるようにプラ板を貼ります。ホームの鉄骨の足元にはタミヤの「情景テクスチャー
ペイント」でコンクリートの基礎を表現します。


 駅前はアスファルトなので厚紙を敷きます。ホームへのスロープも厚紙で作ります、線路の反対側の塀はベニヤ板
に津川洋行のシーナリーペーパーを貼ってコンクリートブロックにします。塀の先は郵便局なのですがスペースもない
ので省略。
 まわりをマスキングしてレールの塗装、レールの側面にはシールプライマーを筆塗りして缶スプレーで茶色に着色。
線路の周りはトミーのシーナリープラスターで土を表現、プラスターはそのままでなく「フルイ」か「茶こし」を通して入れ
ないとダマが出来て地面がつぶつぶになってしまいました。ウッドランドのアースカラーで着色しました。


 骨組みの上にペーパーで作ったホーム(厚さ2.5mm)を車両に接触しないように接着します、高さも11.5mmになるように。
エバーグリーンのタイル3.2mm角を黄色に塗って点字ブロックにしました。


 点字ブロックとホーム側壁をマスキングしてホーム上面の舗装工事、今回はタミヤの情景テクスチャーペイントが大活躍。


 ホームの北側はフォーリッジを撒いて緑化、普通の木工用ボンドで接着したら土が艶っぽくなりました、WOODLANDの
艶にならない「シーニックグルー」を使いましょう(宣伝)。
 ホームにある柵、何で作ろうか悩みましたがエンドウの#2760荷物室用保護棒を使って作成しました。FUJIモデルの
とは違い長さ180mmあるので長い柵に最適。色を落とし下側に2.5mm幅の帯金をハンダ付、(ここをホーム側壁に接着)
上側は0.8mmの帯金を両側にハンダ付した後に保護棒の上の本来の窓に取り付ける部分を糸鋸で切断します。プライマー
を吹いて灰銀色に塗装してホーム側壁に接着。


 ホーム上屋も真鍮チャンネルをハンダ付して作成、写真はプライマーを吹いたところ、屋根はエバーグリーンのプラ材
から制作して骨組みに被せました。ハンダ付ばっかり、最近車両工作でハンダ付をしていないうっぷんがレイアウト造り
に反映されているのでは。


 昔の駅は古マクラギの柵で囲っていましたが今は「フェンス」、無粋だけどこれが現在。しかしこんなもの製品にあるわけ
ない、数年前ネコが「ハイパーパーツ」でエッチング抜の商品を発売していましたが今では幻。悩んだ結果またハンダ付、
帯板と丸線をハンダ付し枠を作ったら塗装、「網戸」の網を接着してレイアウトに差し込みました。後からお客様曰く「台所
の水切りネット」がいいよとは言われました。網を実物のように菱形にしたかったのですが網を斜めにきれいに切る事が
できそうになく四角のフェンスになりました。


 踏切回りの仕上、警報機をガードするガードレールはノッホ製、これは洋物でも万国共通、トラ塗りにします。
警報機の土台は薄板で作りコンクリートにします、隙間は紙ねんどで埋めて土色にし草をはやします。そこに
ガードレールを刺します。警報機本体は津川製ですが破損しやすいので最後に取付ます。
 橋の手すり、奥の道路の白いパイプ状のガードレールはおなじみの真鍮ハンダ付。道路のラインはエナメル
塗料の手塗り、脱輪防止の板を付けてみました。水路の周りもこれからフェンスを取付ます。


 アスファルト舗装が済みフェンスを取り付けたらあとは緑化(雑草)。その前にストラクチャーなどがあまりにも
新すぎるので懐かしのMrカラーのとび色2号(ワム8の色)を薄めに溶いた物をレイアウト全体に吹付ました。
特に線路周辺は気動車のブレーキシューの鉄粉が付着しているので重点的に。これで新品臭さが消えました。
 パウダー、コースターフ、アンダーブッシュなどで緑化、季節は夏なので雑草伸びほうだいとなりました。
手前の郵便局の壁にへばりついた草の表現はHekiのポケットフロールを用いました。競作の5日前の火曜日
(定休日)は雨で出来ず翌水曜日が快晴で夏の陽射しの下「乾け、乾け」と緑化していました。電柱は津川製。


 緑化が終わると水路の水の表現、パウダーなどで汚れるので最後に行います。底にアースカラーを塗って
お客様には「光栄堂のモデリングウォーター」を勧めているのに自分は「グレインペイントのアクア」を使用した
ら透明感がなくコンテストの時みんなから「どぶ川」と言われてしまいました。この上にさらに透明な(まさにモデ
リングウォーター)水の表現をするべきでした。


 最後の仕上、駅名板は真鍮ハンダ付工作、ベンチはプラ材から、ゴミ箱は時間切れ。駅名、時刻表、ベンチ
の広告はエクセルで作成しました。プロトタイプがバレました、岩徳線の生野屋駅です。国鉄末期に地元の請願
駅として開業した(私の1万円寄付しました)無人駅です。当時車掌区で同時に開業した大河内駅と共に「山口線
の仁保津よりひどい駅」と言われたものです。高校の時駅があれば便利だったのですが当時は客車列車は何と
10両編成で新駅を作ろうとするとホームが200m以上、とても無理です。開業当時は4両編成があり3両分しか
ホームに架からないので最後尾の車両のドアは開閉しないようにしてました。同じ岩徳線の川西駅はホームが
短く客車列車は通過してました(2往復)が岩国高校の請願でホームを10両に伸ばしたら数年で客車は6両になり
伸ばした意味がなくなった事がありました。
 このあたりは新幹線建設で線路が北側に移設されています、だからマクラギはPCで水路が近代的なのです。
旧型客車の時代1000分の10の下り勾配を95キロで周防花岡駅に向け吹っ飛ばしていました。
 私が車掌をしていた時に開業した地元の駅、これが制作理由です。


山陽地区の必修課目、瀬戸内色の115系。


 ぬくうなると特製品を作らなければなりません、これで自分の模型は中断。このぐらい自分で塗ればと思いますが、
暇がなくても金がある方の為に塗っています。
 カトーの115系はもう4両編成が組めないので113系からとなります、2000番なら雪切室のルーバーがないのでこちら
の方が実車に近いかも。正面のタイフォンを銀河の寒地向けに交換、クハの2000はジャンパー栓を削ります。そして
大事なのは運転室の窓、いまから大量の塗料を塗るので塗膜が厚くなりガラスをはめる時大変なので(ガラスを外す
のも大変)、車体断面を軽くカッターナイフの背でこさいでおきます。このひと手間が大切。


 塗装はキソパワーツール社製のダイヤフラムコンプレッサー(4代目、初代自転車の空気入れ改、2代目ニットー教材
で通販で買ったレシプロ式コンプレッサー、3代目今と同じコンプレッサー)とタミヤバジャーエアブラシの組み合わせ。
高一の時エコーモデルで買ったバジャーのエアブラシからずっとバジャーひとすじ35年、青いホースは35年前のもの。
 16番サイズを塗らないのならタミヤのスプレーワークで充分です、1万5千円の投資できれいな塗装ができます。私から
するとNの車両を缶スプレーで上手に塗装する人を尊敬します。
 塗料はGMの#16青20号とガイアの#1008クリーム1号、大量に吹くクリームは溶剤がきつくないガイアの方がいいかな
と隠蔽力が強そうなので最近はこの組み合わせです。
この前吹付で塗料を原液1に対して溶剤2の割合で塗って「ツブツブ」塗装にしたお客様がおりましたが、最低でも溶剤2
ではなく3。天候によっては3以上でないと「ユズ肌」になります。私は薄めた塗料で保存しています、中身を全部出せて
色調は正しくなるし変質しないし混ぜやすい。風呂椅子は中学の技術家庭の時作ったもの、当時の先生が今では教育長
になるとは。


 まず青20号、帯のあたりだけ吹きます、1色目がホコリが付きやすいので注意。


 帯のマスキング、実物300mmなのでNでは2mm、GSIクレオス社製「Mr,細切りマスキングシート」(¥453当店で販売)
に2mmがあり簡単にマスキングができます。車体裾から4mmというか窓のユニットサッシからそれなりの位置にマス
キングテープを一直線に貼ります。確認後つまようじの先でテープを密着させます。「つまようじ」はいろいろ役に立ちます
ので工作台にいつも常備しておきたい物です。
 客ドアは帯がないので切りますが、常磐線の415系と異なり帯はドアぎりぎりでなく実物30mm模型で0.2mm手前で切ます。
先頭車の前面帯は280mm≒1.8mmというか現物合わせの幅でマスキングします。旧製品とくらべるとヘッドライトが小さく
なって帯の幅がスケールに近くできるようになりました。車体の後ろにある図は実物図面115系3000番台の「カラー帯割付」。


 にじみ防止のため青20号を吹きます、そのあとはただひたすらクリーム1号を塗ります。下地が濃い青の上に薄いクリーム
を塗るので相当時間がかかります。1両集中でなく4両順繰りに塗るほうが効率が良いです。乾いた塗料の上に塗ったほうが
色は乗りやすい、でもこの状態はまだ青が透けてますよね。


 4両を順番にクリームを塗ります、これでもかこれでもかと何回も。あせって1両だけマスキングをはずすとえらい目に。
クリームを塗り始めるとテープをはがすまで一気に進めます。4両とも充分にクリームが塗れたと確認したら軽くクリーム
を塗ってすぐにマスキングテープをはがします。半乾きの状態ではがすのは常識。テープをはがす時ピンセットが塗膜に
当たったら大変!一番緊張します。4両でクリーム塗るのに1時間以上かかります。「温くならんと瀬戸内色ができません」
とあったのはこれを見ればわかるでしょう。


 車番はトミーの分売パーツ#92203JR115 2000系(瀬戸内色)の転写シートを使用します。本体は絶版でもシートは
まだ販売しています(¥283)位置はドアのDコックがない方の中央ドア寄りの客窓の中央。シート保護の為半艶クリヤー
より少し艶気味のクリヤーを吹きます、元が半艶なのでこのように。


 運転室上にカトーの列車無線アンテナを取付ます。あとは元通り組立ますが正面ガラスは慎重に!ガラスはカトー
#28-161 115系黒Hゴムガラスセットに交換しています。
 みなさんこれから暖かい季節、113系の再生産も4月にあります塗ってみませんか。

KATO キハ58をつつく。


 「店主の写真コーナー」にあるように95年に発売になったHO(80/1)キハ58。16年経って部品を取り付けています、「出島」計画。
ただ部品をつけたくない性格なのでいろいろつつきます。
①クーラー交換、形状の良いトミーのAU13A(キハ)、AU13角(キロはやっぱりこの方が似合う)に変更。
 クーラー台座に穴をあけてエバーグリーンの帯材をスペーサーにして取付ます、キハ28.58とキハ65では下の隙間が違う。
②キロのベンチレーター撤去とトランジスターインバーター用通風機を取付。
 削って瞬間接着剤で埋めてサーフエーサーで仕上げます、ホームセンターで真鍮釘を探し(もう少し大きいのがあればいいのですが)
形式図を見ながら取付。ところがカトーのクーラーの位置は形式図とだいぶ違いますのでそれなりにアレンジしています。釘は取付の前に
プライマー処理をして塗装してから取付ています。
③ベンチレーター(斜め)もトミーのが良いですが、パーツの入数が平×7と斜め×1なので30袋も必要なので今回はそのままにしています、
はめるだけで将来交換も考えています。


 モーターの交換、キハ82系が発売されるまでのキハ58、165系のモーターはNの旧D51のモーターを両軸にした物らしく
非力でスムーズな走行とは言えません、昔165系をキャノンLN14に交換したので思い出しながら工作します。
フライホイールが取付られるよう、エンドウ#6305モーターホルダーHIセットを参考に背の高いホルダーを真鍮板から自作
します。中央のウエイトを兼ねた鉄板にモーターを取付、左右の集電板に配線。支障する左右の鉄板の一部を欠き取ります
(真鍮と違い鉄は堅い!)シャフトを現物合わせで短縮します。165系と異なり気動車の床下機器は中央寄りにあるので、モータ
ーカバー兼の床下を分割してそれなりに取付ます。試運転の結果スムーズで力強い走りとなりました。
 エコーのトイレ流し管を取付、他の車両と一緒に塗装します。私はKATOの車両もマッハ模型の「ニトロセルロース系」塗料
を塗っています。(特製品のキハ40広島色も)GMのキットは「スチロール樹脂」なのでNGですがKATOなどの完成品は「ABS樹脂」
なので大丈夫です。あと気動車のお約束、エアータンクは黒、熱い所は銀に。


 前面の加工、手すりは真鍮線に変更、種別幕はシールでなくトミーの455系用プラパーツをはめ込むので少々広げます。
気動車は片ホロなので下り方にホロ、上りはホロ枠にします。ホロ枠は正面から移設、ホロ付も編成の端(九州寄)は中
まで「しわ」のあるエコーのパーツに変更。足りないホロ枠もエコーのパーツを取付ます。
 よく見るとタイフォンが寒地用が付いているので(キハ65は暖地用)カッターでそぎ取ってしまいました、多少赤がはげた。
これもエコーのパーツに交換。


 今年は冷いですのんた、やっと塗装ができます。タブレットキャッチャー、手すり、タイフォン、ホロ、台車枠など目玉クリップ
にはさみ塗装です。
 金属にはマッハのシールプライマー、軟質プラにはガイアのマルチプライマーで下地処理して塗装です。金属と床下はマッハ塗料、
屋根はガイア、台車はGMと各種塗料を使っています。KATOのクリームとマッハのクリームの色が近、く正面タイフォンを別パーツ
にして出来た隙間もマッハのクリームを軽く吹けば目立たなくなりました、こんな事ならキロはルーバー削って初期型にすれば良かった。
部品取付後インレタを張って車体保護の半艶クリヤーを吹いて昨年からバラバラになっていた車体の組立ができます。


 タブレットキャッチャーを取付けます、キハ65の折戸の片方は保護鉄板なので塗装で表現します、その他の先頭車はクリヤーをかける
前にエンドウの保護棒を取付けます。地区によって赤に塗った所と地色のステンレスの銀の2種がありますが私は銀色のままにしました。
乗務員窓下のバランサー点検蓋もクリヤーをかける前に取付ます。サボはエクセルでそれらしく作り、シールに印刷して貼りました、号車札
がまだだ。


 編成の前後のライトユニットはLEDに交換しました、砲弾型の電球色と白色で前照灯と種別幕を照らします。テールは元からLED
ですが照度が低いので交換しました。


 結果はこの通り、右が編成の佐世保寄りの先頭車。低電圧でもヘッドライトは明るく点灯し、はめ込みにした方向幕の美しい事!
シールとは大違いですね。エコーの幌に交換して冷房用ジャンパ栓は後の再生産でグレードアップしたパーツに交換しました。
エアーホースもエコーのロストに替えてMR管には白の色差をしました。もう少しで試運転。
左側は中間に挟まれるのでライト関係はそのままにしています。

バラバラ

 バラバラのEF15、天賞堂L字駆動の初期製品です。持って来られたお客様は呉の方、発売当時呉線は電化したばかり欲しかったんでしょう。


 組立てる前に整備、天賞堂の昔の製品はギヤボックスのグリスが経年変化でキャラメル状になっておりグリスの役に立っていません。
キャラメルは良い方でカチカチになった物もありました。車輪やギヤボックスをペイントうすめ液に浸けて(カトーのユニクリーナーでもOK)
グリスを取り除きます。くさいくさい。


 ギヤボックスにエンドウのセラミックグリスを充填します、元の油脂系とは違い経年変化もなく安心して使えます。
ゴキブリの敵「ホウ素」配合のグリスです。これも「つまようじ」を使ってギヤボックスに塗るのが便利です。


 次は心臓部のモーター交換です。モーターの磁石は永久磁石のはずですが経年で磁力は低下します。元気な頃は手で
触ったら怪我するぐらい強いMH-7棒形モーターも今では手で持ったら止まってしまうぐらいに弱っています。
 キャノンモーターEN22高速に交換します、ウエイトやジョイントの長さなどを考えてモーターの位置をきめます。ジョイント
も2.0-2.4のジョイントに交換し伸縮軸を切って長さを調整します。ここで奥の手、ジョイントの球と受けのところにセラミック
グリスを塗る事!こうすると一生ジョイントが回転中にはずれません。電車なども一緒です、お試しを。


 ワニ口クリップをつないでモーターを回転させると快調なのにレールに乗せて試運転すると走りがギクシャク、おまけに
線路状態の悪い所で脱線します。脱線の原因はギヤボックスのガタが少ない為、裏蓋を緩めると脱線しません、でもネジ
が緩んだままでは。軸受を削るのもしたくないし、結局ギヤボックスと裏蓋の間に薄いプラ板をはさむ事で調整しました。
ギクシャクの原因の集電不良は絶縁車輪にも集電シューを取付集電を安定させました。シューはカトーのNゲージの集電板。
絶縁に収縮チューブヲはさみ帯金で保持してギャボックスに取付ました。


 最終試運転、音は高いけれど走行は快調!モーターの消費電流も少なくなり全軸集電のおかげで車輪も汚れにくくなりました。
古い天賞堂でもギヤ回りがやぶけてなければモーターの交換と整備で往年(往年以上かも)の走りを取り戻す事ができます。

折れる

 カツミのEF66、ダイカストの台車がポキリと折れています、空気バネあたりにはヒビ割れが。
ほとんどのカツミ~エンドウのダイカストの台車は折れるような事はありませんが写真のような金色ぽいダイカストは折れる可能性が
あります。過去自由形ED58の台車(ED70の台車)がやはりこの色でネジを緩めず車輪をはずそうとするとポキリ。
小高の台車が粉吹いて折れたり、マイクロエースの新幹線の動力ユニットが変形して垂れさがったりとダイカストは製造工程で合金の
中に不純物が混入するとそのロットすべて不良品となり「シーズンクラック」で折れたり変形したりします。古いダイカストの台車を分解
する時は無理をせず慎重にバラしましょう。


 ドロロンえん魔くんのエンディング「妖怪にご用心」(歌 中山千夏)の節で~
♪へーんな感じがしませんか?
君が見ているこのEF66
EF65っぽくないですか?
気をつけな気をつけな ダイカストにゃあ
折れるものがあるんだよ(以下省略)
EF66の台車は市場に無くカツミのEF65の台車で代用しました、走ればいいので。
 EF65の台車になっても気づいたお客様はほとんどおらず指摘したのは本職の方だけ。